祖母との電話 2022.7.1

京都の実家にいる間、何度も祖父母の家に通った。
90歳を迎えた祖母は物凄く耳が良くて(今も若者並みに遠くの声が聞こえる)、声を聞くだけでその人の気持ちとか感じを察する。

社会人になりたての20代前半の頃、仕事に行くのが本当に嫌だった。
営業の外回り中の合間を縫って、よく祖母に電話をかけていた。
もう自分ではどうしたらいいのか分からないくらい毎日苦しくて、誰かに話を聞いてもらったり声をかけてもらうことが救いだった。
ずっと家にいた祖母に電話をかけると大体いつも出てくれた。
そして、私の話を聞いて励ましてくれた。
具体的な解決策とかではないけれど、私は祖母の声と言葉に勇気をもらってなんとか毎日生きていた気がする。

私が京都に帰るたび祖母に会いに行くと、決まって言うのが「あんたええなぁ。岩手は自然がぎょうさんあるんやろ。うちは京都から出たことないさかい。でも京都が好きや。」ということだった。
私がどこかへ行くたびに「あんたええなぁ。」って、言ってくれる。

そういえば、私が料理に興味をもったきっかけのひとつも祖母だった。
料理上手な祖母は、ごはんをよく作ってくれた。それもちょっとだけ自分の独創的なスパイスを入れて。
「実はこれ◯◯が入ってんねん。」って、言われて、「へえ〜。」っと子供ながらに少し驚いていた記憶がある。

子供の頃、私は南瓜のポタージュスープを作ってみたくなって祖母に電話をかけた。
確か、南瓜、玉ねぎ、コンソメ(他にも、えっと思うような調味料を言われた気がするが忘れた)を煮てから潰したらできるというような説明を受けた覚えがある。
南瓜のポタージュスープってそんなふうに味を出すんや。と思ったことを記憶している。
フードプロセッサーが家にあると知らなくて、南瓜をどうやって潰せばいいのか分からなくて、南瓜を細かく細かく切った気がする。そのせいで想像していた滑らかなポタージュスープにはならなかった。
でも今思えば、祖母に南瓜のポタージュスープの作り方を電話で教えてもらったけど、思った通りにならなかった。という記憶が、私の料理への道の始まりの始まりくらいのきっかけになったような気がしている。

今では、自分でも美味しく南瓜のポタージュスープを作れるようになった。
そういえば、料理の仕事をしてから祖母に料理を作ったことがほとんどない。
これはいかん、岩手の美味しい野菜で作ったポタージュスープを冷凍して京都まで送ろう。