筋トレ 2021.9.29
私が好きな作家さんは「筋トレ」という言葉をウェブサイトのタイトルにしていた。
おそらく10代の頃から、その方が毎日書く言葉を読むことを日々の楽しみとしている。
思えば、中学生高校生の私は筋トレばかりしていた。
部活に明け暮れて、夏休みの家族旅行も行かず、家に一人残って筋トレをしていた。
それはどちらかというとしんどかったし、やらねば強くなれぬ。と自分に言い聞かせて頑張ってやっていた。
あんたは一体何を目指しているのか、と弟に何度も言われたし、今も思い出話の一つとして笑われる。
でも、当時の私は必死に何かを追い求めていたんだと思う。
私にとって「筋トレ」とはそんな厳しいイメージを持つ言葉だった。
そんな言葉をなぜ彼女はタイトルに使っているのか、よく分からなかった。
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約2年ほど前から、私は馬と関わるようになった。
毎日毎日、教えてもらいながら馬とのトレーニング(ほぼ私のトレーニング)を繰り返した。
だいたい同じ順番と時間で、トレーニングを繰り返す日々。
でも、日を追うごとに感じることや見えてくることが変わっていく。濃厚になっていく。
同じことを繰り返しているのに、まるで違う世界に見える日もあった。
2、3ヶ月がすぎ、気付けば身体で馬との感覚を覚えていることに気付いた。
繰り返すということで身に付くことの深さを知った。
決して、長時間厳しいことをやっていることでもないし、辛くもなければしんどいことでもない。
だけど気付いた時に、じんわりと身体に染み付いている。
繰り返すことで見えてくること、理解できることがある。
尊敬している料理人の方のインタビュー記事を読んでいた時も「筋トレ」という言葉が出てきた。
彼女はお店を開く前までの1年間、筋トレと称して友人にご自宅で料理を振る舞うことをしていた。
筋トレとは、繰り返しのなかで身体に染み付いていく感覚を味わえて、
その世界に足を踏み入れていくことで、どんどん想像力を広げることができるもの。
今の私は、そんな風に思えるようになった。